社会福祉法人 徳充会

徳充会Plus+ 番外編

障害者週間

「障害者週間」とは

毎年12月3日から12月9日までの1週間を指し、障害者の「福祉」についての関心と理解を深めるとともに、障害者が社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加する意欲を高めることを目的とした期間の事です。

この期間においては、政府を始め地方公共団体など様々な関係各署、そして徳充会の障害者支援施設「青山彩光苑」や関連する施設・事業所でも意識啓発に係る取組やイベントを開催しています。

なぜ12月9日なの?

12月9日とは、1975年(昭和50年)のその日、第30回国際連合総会において「障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する」という 「障害者の権利宣言」Declaration on the Rights of Disabled Persons採択された日です。

さらに1981年(昭和56年)11月28日、国際連合が指定した「国際障害者年」を記念し、当時の厚生省国際障害者年推進本部が12月9日を「障害者の日」と設定していましたが、平成5年(1993年)12月3日、心身障害者対策基本法が「障害者基本法」に変り、 その第六条の二 2項には「障害者の日は、十二月九日とする」と法律上定められました。

じゃあ12月3日って?

1982年(昭和57年)12月3日「障害者に関する世界行動計画」World Programme of Action concerning Disabled Personsが第37回国際連合総会で採択された日

これを記念し、10年後の1992年(平成4年)の第47回国連総会において、12月3日を「国際障害者デー」International Day of People with Disabilityと宣言し、障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利と、その補助の確保を目的とした国際デー(国際機関によって定められた記念日)として設定された日なのです。

12月3日~12月9日を...

1995年(平成7年)に当時の総理府障害者施策推進本部が、12月3日の「国際障害者デー」から、12月9日の「障害者の日」までの1週間を障害者週間としていましたが、2004年(平成16年)6月の障害者基本法の改正 総則第七条2項「障害者週間は、十二月三日から十二月九日までの一週間とする」と法律上に明記され、それまでの「障害者の日:12月9日」から「障害者週間:12月3日~12月9日』に改め 、 現行の障害者基本法からは「障害者の日」という名称は無くなりました。

青山彩光苑 -第1回イベント-

青山彩光苑では、1993年(平成5年12月3日、心身障害者対策基本法が「障害者基本法」に変り、12月9日を障害者の日とすることが法制定された、6日後に「第一回 障害者の日 in 青山彩光苑」というイベントを開催しました
『障害を持つ人が、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に積極的に参加することを応援する!』を目的に、支援施設における「障害者の日イベント」の開催は全国で初めてだったのではと思っています。

当時を知る職員によると、法制定を聞くや否や「青山彩光苑でイベントをやろう!!」と職員のみならず利用者様までもが奮い立ち、開催までの6日間、夜遅くまで企画と準備に追われたそうです。

イベント当日は石川県作業療法士会事務局長を招き【豊かに生きる】をテーマ【障がい者の外出と生活圏の拡大を目指す必要性と考え方】を講演され、【障害者とスポーツ】【在宅障害者との語らい】【身体障害者の自動車の運転に関して】等々、5つの分科会も開催され、各自の目的や興味に合わせて参加されたそうです。

更に会場ではジャンボ巻き寿司大会も行われ、10人一グループで巻かれた寿司の出来映えを競う催しも行われた。

四半世紀が過ぎて

近年、青山彩光苑では12月3日~9日の「障害者週間」で「土曜日」にあたる日がメインイベントデーとなり、地域の方々を招いた催しを開催しています。
【講演会】障がいをお持ちの社会で活策されている方、県内に縁のある芸能の方などを招いています。
【啓発ポスター展示・表彰式】市内の小中学生が描いた作品展示、入賞の児童生徒を招き表彰を行っています。
【地域発表】市内の保育園・小中学校のダンスや吹奏楽、和太鼓等の地域活動団体が演奏や演舞を行います。
【模擬店】市内の飲食店や、徳充会障害者支援施設及び事業所が出店。
期間中は苑内で映画上映やカラオケ大会など、作品展示は図書館等の公共機関でも催しています。

ちなみに、イベント時の吊り看板【障害者の日 In AOYAMA SAIKO-EN】は平成6年(1994年)の第2回イベントで製作。 後の法改正で「障害者の日」の名称は無くなりましたが、青山彩光苑では“その歴史に敬意を”を払い、先人達の思いが詰まった歴史ある看板をこれからも掲げていきたいと思っています。